本の翻訳が食えるか食えないか、という話に強い違和感があって、どうしてなのかなあ、と思ったんだけど、
「そもそもそういうふうに考えたことがなかったから」
だと気づいた。
だって、気づいたら本の翻訳の仕事をたくさん頼んでもらってて、ありがたいし、嬉しいし、やりたいから断りたくなくて、ほぼ全部受けてたら、それしかできなくなっただけだからね。不器用なので、他の仕事と両立なんて無理だった。やろうとはしたけど、無理だった。賢い人は、まず「食えるか食えないか」を考えて、難しそうだったら、食食い扶持を確保しながら、本の仕事をするものだと知ったのは、あとになってから。先に言ってよ。言われてもできなかったとは思うけど。
やりたいこと、やりたいことだけをやる、と思って必死に生きてきたら、いつの間にか25年経っていなっただけ。どこかのタイミングで、おお、これなら食べられるから本の翻訳だけでやっていくぞ、とか決心したわけでもない。
みんな、そんなふうに賢く考えたり、選んだりできるんだ...すごいなあ...驚き。ただ目の前のことをこなすのが精一杯で何も考えられなかった。本を出すのを自己表現なんて思ったこともないし、文化の架け橋に、なんてことも考えない。良書を日本の皆様に紹介したいとか考えていたわけじゃない。ただしたいことをしてきただけ。そんな感じだよ。
食えたのか食えてなかったかも自分ではわからない。生き延びたのだから食えたとも言えるし、その時持っているもので何とかする、を続けてきただけとも言える。「そんな貧しい生活、食えているうちに入るか」と思う人もいるだろうし、「それだけあれば贅沢だ」と思う人もいるだろう。
正直、他人はどうでもいい。他の人にまねをしろとも言わないし、参考にしろとも思わない。情報商材作るために生きてるわけじゃないからね。自分の人生は一つだけで、自分だけのもので、他の誰のものでもない。成功でも失敗でもない。ただ、今日まで生きてきた事実があるだけだ。この先どうなるかはまったくわからないし。今も必死。安心と安泰とかそういうのはない。戒めとか謙虚じゃなくて、本当に文字通りの意味。
言ったところで何の得もしないけど、言いたいことは一度、言っておきたかった。
煮込みハンバーグ。
カフェラテ。
今日もユニオンのエコバッグでユニオンでお買い物。さすが元町に映える。
今日の体重:53.4kg
体脂肪率:12.6%
そろそろランニング復活、だな。