ミッドナイト・イン・パリ

映画の話の続き...今日は「ミッドナイト・イン・パリ」。

昨日、再定義、という話をしたけれど、この映画でも再定義があった。ヘミングウェイの再定義だ。この映画を見るまで、正直、アーネスト・ヘミングウェイという作家に良い印象はなかった。「パパ」なんてニックネームをつけられているマッチョな人、というイメージ。最も敬遠したいタイプ。マッチョな作家なんて。そんな人の書いたものを読みたいとは思わない。ところがこの映画を見たら、ヘミングウェイという人の人物像が大きく変わってしまった。映画はフィクションなんだけど、それがわかっていても、そうか、この人にはこういう面があったのか、何も知らなかったな、と思った。若き日の、パリで過ごしたヘミングウェイ。随分昔に、エルヴィス・プレスリーの伝記&写真集みたいな本を訳した時と同じような衝撃があった。プレスリーもなんか変な服着て甘い声で歌う太った人、というイメージでさほど興味はなかったのだけれど、21歳頃の姿を知って、それがまったく変わってしまった。まだ痩せていたエルヴィス。ああ元々、こういう人だったんだ、と思った。

その後、「移動祝祭日」というヘミングウェイの自伝的エッセイなのか小説なのかはっきりしない本に出会い、あまりの面白さに驚いた。そして、その本が「ミッドナイト・イン・パリ」のモチーフになっていたことも知った。

「雨のパリいいよね。そういうのわかってくれるの嬉しいよ」そういうセリフが泣けるのだよ。ほんとに。